Oshoの講話録に対する評価

Oshoの講話録に対する評価

◆ 日本

「最近十年間、Oshoの本は、多くの書店で『精神世界』の棚を大きく占有しており、日本にも広い読者層を持っている。彼は『般若心経』、『究極の旅』 等、多くの講話シリーズの中で禅を語っており、また他の講話集の中でもしばしば禅に触れている。最近、彼による『一休道歌』上下二巻が翻訳刊行された」
「Oshoの特長は、社会問題等に進んで発言することだ。そしてセックスや政治等、禅林の老師たちが努めて触れまいとする主題について、彼の見解は近年激 しさを増している。組織宗教に対する彼の批判は殊に強烈である。彼のメッセージは『自分自身のハートに波長を合わせよ』ということだ」
●禅文化研究所 1988年4月25日




「一休の語ることが理解できたら、あなたの夢の生は煙のように消え去るだろう』。現存する宗教家の中では最も魅力にあふれ、わが国でも広く読まれている Osho師の最新講話録。この本の中で、師は一休道歌を題材にして自由奔放に語りながら、人間の実存の中に深く切り込んでいく。師のジョークや語り口は先 鋭にして痛快であり、風狂、漂泊の禅師一休の精神を彷彿とさせる」
●毎日新聞 1987年10月5日



「Osho師は、人間の心臓のように小さな般若心経の中から、膨大な宇宙空間(スペース)を展開して見せる。そのスペースには、詩魂と仏心が、銀河のごと くにきらめいている。『YesとNoの正体こそが、空の、無の、ニルヴァーナの秘密だ』『空はありあまるほど生きている』とOsho師はこともなげに言 う。うん! なるほど! 心経はインドの途方もないひろがりの中から生まれたのだった」
●紀野一義 Osho「般若心経」 帯推薦文より




「この大著は『存在の詩』『究極の旅』に勝るとも劣らぬ不思議な生命力にあふれている。老子の言葉は難解だが、Osho師を通って出てくると、ことごとく 詩になる。詩とは存在の本質に深く関わるものなのだ。師の言葉はまた痛烈である。悟ったと称していばりくさるある種の禅僧など木っ端微塵にやられる。永遠 について、生きることについて、悟りについて、女性の尊さについて、かくも深く、美しく、鮮烈に語った本は珍しい。人生を深く生きようとする人に勧めた い」
● 紀野一義 Osho「TAO永遠の大河3」 日本図書新聞より



「シュリ・Oshoは、『己』を求めて旅に出てしまったあなたを、宗教という衣の下に庇護するのではなく、白日の太陽の下、ずばり『存在』そのものと立ち向かわさせてしまうように思われる。この書が、他とすぐれてわたしたちに訴えかけるのは、この点にある」
● おおえまさのり Osho「存在の詩」 帯推薦文より



「一行一行がぼくの血液の中に流れ込むようにして入り、もとの血液は見る見る浄化されていく
そんな実感にぼくはたった今うちふるえている」
● 横尾忠則 Osho「存在の詩」 帯推薦文より




「ここには、さとったひとが、現代のわたしたちのことばで、しゃべっている。わたしたちは、彼のはなしのながれにのれば、いわくいいがたい例の状態を、い ささか感じとることができる。それを語ることは、しぜんに詩になる。うつくしい    というのは、ことばのないときにいうことばだ。彼は西洋最新のセラピーと、東洋古代の瞑想法の相乗効果により、さとりの道を画期的にひらいたひとだ」
● 片桐ユズル Osho「狂人ノート」カバー推薦文より


「OSHOについては日本の伝統仏教宗派は事実上無視してきたというのが現実です。食わず嫌いかも知れません。OSHOは禅について沢山語っています。日本の禅は、唐の時代に道教の強い影響で成立した中国禅をベースとしています。また、さらに日本で独自の発展もしています。そういった中国、日本での影響を受けずにインドで受け継がれてきた Dhyana〈ディヤーナ〉の伝統の一つの結実がOSHOの思想です。OSHOの平易な語り口の中に、ともすれば見落としがちな禅のエッセンスを見つけ出す読書体験を、皆さんにも是非共有していただければと思います。」
●苫米地英人(認知科学者)草はひとりでに生える 推薦文より


◆ インド

「この本、『新しい人間:未来への唯一の希望/The New Man:The Only Hope for the Future』によって、Oshoは、世界の現実的問題に対する自らの使命を明らかにするとともに、彼が20世紀の知的巨人であることを世に示している」
● ザ・デイリー THEDAILY 1987年9月10日



◆ アメリカ

「Oshoは現代における人間意識の偉大な開花であり、しばしばJ・クリシュナムルティに比較される & &外目にはわれわれと同じ人間だが、彼の中に具現しているその言葉は、確かに未知なるものの香りを蔵している。そして彼のまなざしは、まさに『永 遠』の中に安らいでいるようだ。宗教が単なる形式と堕し、かつてこの地上に存在したブッダたちの火と燃える言葉が単なる形式的信仰へと後退している現在、 自分自身の体験によって人間意識の目もくらむばかりの高処へと到達したOshoの言葉は、比較を絶した力強さをもって、われわれのこころの中の美を貫く。 それは形式的な宗教や宗派とは何の関わりもない。われわれは新時代の人間に、この新たなる宗教の洞察を一読することを薦めたい。文中のそこここにちりばめ られた気の効いたジョークに腹をかかえるだけでも、本書を読む価値はある」
● ボストン・クラブ 1988年10号



「人権についてのOshoの所説は、人間の福祉や進歩に誠実な関心を寄せる人びとの必読書だ。なぜなら、彼は通常の智恵の仮面を剥ぎとるからだ。この本 (『新人権宣言』)を読めば、なぜかくも多くの政府が彼の入国を認めたがらないかがわかる。彼の語る真実は、政治家たちのひたかくしにするものだ。もし Oshoの言葉が敷衍すれば、国境は消え去り、権力はエリートや政治家の手を離れるだろう。そして、祝いが、生が、愛が、笑いが、この地上の生を支配する だろう」
● ニュー・フロンティア NEW FRONTIER カリフォルニア、1988年1月



◆ オーストラリア

「人びとを魅きつけるもの、それは大悟した師、Oshoの臨在だ。そんじょそこらの気難しい渋面の隠者とはわけが違う。彼は現代のための師だ。読者諸氏も 既にお耳にしていようが、彼は語る。語りに語る。今日に至るまで、英語だけでも実に5,500万語相当の本が出版されている。彼が語ること、それは人びと の生き生きした目を引き寄せ、そのハートや魂に触れるための、ひとつの努力にほかならない」
● ニューエイジ・ニュース NEW AGE NEWS 1988年11月


◆ フランス

「単純な、しかし深遠な言葉によって、師は『死する術』を人びとに示す   それは今とここを生きることであり、永遠の生を生きることだ」
● リーブル・エブド LIVRES HEBDO 書評誌 1988年10月




◆(注)Oshoは、1989年初め、「バグワン」という名を廃し、「ラジニーシ」とのみ呼ばれることを欲するも、弟子たちが「Osho」という名を選 び、彼もそれを受け容ました。上記の書評内に「ラジニーシ」「バクワン」などの旧通称名での記載がありましたので、全て「Osho」に置き換えました。