世界からOshoに贈られた評価

世界からOshoに贈られた評価

◆ 日本

「社会学者がOshoのことばに鼓舞されるというのは、奇妙に思えるかもしれません」

「Oshoの表現は私自身のそれよりもよりインスピレーションに満ちている。
私はOshoのことばにとても深く満たされている」
●見田宗介(東京大学教授・社会学者)
「Oshoタイムズ・インターナショナル日本版」Oshoイア刊22号より

「現代世界の最も魅惑的な思想家のひとりOsho(「存在の詩」めるくまーる社、他)は、幾十ヶ条かの「罪状」を負って先月アメリカを追放され、ヒマラヤ で死ぬためにインドに帰った。Oshoのグループもまた、フリーセックスの邪淫狂信の集団のように、アメリカでも日本でも報道されたことがある。視線のい やしさが対象に投影されて妄想を増殖される。
<花のそそがれる時よりも/石のそそがれる時にこそ>わたしたちは自由の方向に向かって歩いているのだといういみのことを、Oshoは語ったことがある。
現代社会で自由であろうとする人間は、スキャンダルを恐れぬということに肚(はら)を定めておかなくてはならない。
そしてわたしたちは、石を注がれている人間のそばに立つということをとおしだけ、自由を拡大してゆくことができる。」
●見田宗介
1985年12月26日 朝日新聞夕刊より

「この何とも素直でやさしいスーフィーの物語りは、もしOshoの講話がなければ、なんということなく読み過ごされてしまうかも知れません。
 彼の講話が進むにつて、この物語りはあたかも原石から美しい宝石が磨き出されるかのように、不思議な光を放ちはじめます。
 信じること、明け渡すこと、そうすれば存在があなたに真実を明かしてくれるということを、彼は様々な素材をもちい、異なる言い廻しで、それぞれの考え方のパターンからなかなか抜け出れない私たちに語りかけます。
 ある時は鋭く、ある時は厳しく、ある時は優しく、私たちを目覚めさせようと揺さぶり続けます。
 こうしたOshoの言葉から感じられるのは、私たちへの限りなく豊かで深い慈悲のこころであり、そのなかに入ってゆくと、まるで大海原に抱きとられるかのような安堵の気持が広がります。」
●江戸京子(ピアニスト)
「モジュッド」
Oshoエンタープライズジャパン刊 裏カバーより

「私はOsho師に個人的に会ったことはないが、現在までに出版された彼の本はほとんど読んだ。師は今世紀に現れた、最も希有にして有能な宗教家だ。仏教 についての師の説は、霊感と独自の見解に満ちている。仏教を専門とする者として、師の独自で創造的な解釈や、その比類ない宗教性に驚かされることもたびた びだ。師の解釈には仏教の真理が沁み渡っている。現代日本の著名な僧のうちにさえ、これほどの水準の解釈を保ちうる者はいない」
●紀野一義
(宝仙学園短期大学副学長)

「私は宗教には厳しいです。(中略)

そんな私が唯一心を動かされたのは、プーナにある、『Osho』の村でした。
Oshoというインドの人がいて、その人が創った世界です」(中略)

「本棚を見ればその人がわかります。そこには知性と狂気の同居する、ひとりのすばらしい芸術家の影がありました。お墓で手を合わせて、私は『あっぱれ、や られたよ!』という思いでいっぱいでした。私が小説で綴りたいような、ある懐かしい夢の世界を、ひとりの男が現実という大きな原稿用紙に、おおぜいの人や 空間を実際に使って描いていたのですから」
●吉本ばなな(作家)
「夢について」 幻冬舎刊より抜粋

吉本ばなな、Oshoコミューンについて語る

 多数の賞を獲得した 『キッチン』 (福武書店刊)という、 吉本ばななの小説は日本でベストセラーになり、英語、ドイツ語、イタリア語、韓国語に翻訳され、国際的にも賞賛を受けています。
 吉本さんはインド旅行の途中、プーナのOshoコミューン・インターナショナルを訪れました。この体験をもとに彼女は 「ある男の夢」というエッセイを書きました。このエッセイは 『夢について』 (幻冬舎刊)という吉本さんの最新作に収められています。
「夕暮れ、すばらしいインドの夕日にさらされて、7時からの公の瞑想にそなえてえんじ色のローブをみんなが白にきがえはじめます。そこここに白が散りばめられた、くつろいだ美しい夕方の景色、いろんな国の人の笑顔」と吉本さんは書いています。
 今回の訪問で、吉本さんはOshoのサマーディとライブラリーに案内されました。そして彼女は「本棚を見ればその人がわかります」と書いています。「そ こには知性と狂気の同居する、ひとりのすばらしい芸術家の影がありました。お墓で手を合わせて、私は『あっぱれ、やられたよ!』という思いでいっぱいでし た。私が小説で綴りたいような、ある懐かしい夢の世界を、
ひとりの男が現実という大きな原稿用紙に、おおぜいの人や空間を実際に使って描いていたのですから」
 吉本さんの訪問中、案内と通訳を担当したスワミ・アナンド・ヴァンダノは、彼女が帰国してから数通の手紙を受け取りました。彼女は最近マ・プレム・シュ ンニョの 『ダイアモンドの日々』 (Oshoエンタープライズジャパン刊)を読み、「とてもいい本です。切実で、まっさらで。マスターが肉体を離れた後に、このようないい本が出るというこ とはものすごいことです」と、ヴァンダノへの手紙で書いています。
 吉本さんは、またコミューンを訪れたいと言っています。「ある男の夢」で、彼女はインド旅行について次のように語っています。「そんな私が唯一心を動か されたのは、プーナにある、『Osho』の村でした。Oshoというインドの人がいて、その人が作った世界です。私はその村を訪れて、『桃源郷』という言 葉がマジで浮かんでくるのを感じました」
●「Oshoタイムズ・インターナショナル日本版」Oshoイア刊 72号より

 「私は、すべての宗教に反対だ。Oshoなぜなら、私は唯一の宗教に賛成だからだ。多くの宗教があるという事実そのものが、なにかが根本的に間違ってい るということの証明だ。嘘は何百とあり、虚構は好きなだけ作ることができる。しかし、真理はひとつしかあり得ない。真理は、あなたの想像ではない。」
 こんなふうに語りかけるOshoに世界中の若い人の心が動揺してしまった。その語りかけは、速射砲のようだし、言葉はきらめいて天性の詩人のようだったから、若い人の心に掲示するような安定した方向を示した。
 言葉というものは、心の跳躍台である。Osho語録は何百冊も印刷されていて、Oshoの真理なるものは、言葉の洪水のようだ。だから、若い人の心は、 啓示を洪水のように受けとることになる。Osho語録を読んでいると雲門広録だの玄沙語録だのを読んでいるのと同じ感触がある。
 だけど、Oshoの瞑想センターなるものの体験のない私には、本当はOshoを評価する根拠がないと思う。それでも、その語録に若い人の心が揺れ動くのと同じように、62歳の私の心も新鮮に揺れ動く。
 Oshoは、かつて誰かがいい、いまでも誰かがいいそうなことを語っている。
 「自分が愛する人と一体となって、匂いを嗅ぐこと、味わうことができて、2人は融け合ってと望むが、すべては失敗する。それが恋人たちの惨めさだ。他者は地獄なのだ。」
 臨済録にもこうある。
 「祖に逢うては祖を殺し、父母に逢うては父母を殺せ。はじめて逸脱自在.」
 聖書にだって似たような言葉はある。Osho語録は仏陀、老子、荘子、一休、白隠、芭蕉、ソクラテス、キリストをすべて包含している。弥勒、阿弥陀、観音を完全に理解している。他のだれよりも理解している。まるで、Osho自身のことであるかのように。
 「釈迦臨済と別ならず」
 「愛は成功し得ると望みをかけているのなら、あなたはまだまだ未成年だ。」
 誰も言うだろうし、Oshoも言っている。ただOshoはそのことを早急に体験させたい。人生の晩年にたどりついた感想では駄目だ、早熟に経験しない と。この性急さがたぶん瞑想センターに在る。俗世の情熱と創造と破壊とが渦巻く人間の住む場所にあって、ネールは「世俗主義」という言葉は政治における理 想だ、といっている。Oshoのコミューンがアメリカで拒否されたのは、この性急さの故ではないかと思う。
 「孤独な人は、私は孤独です、隙間をうめてください、私の恋人になって下さい、私を仲間にしてくれませんかと関係を求める。だが、 ひとり である人間は、誰かが自分の隙間をうめられるとは思わない。自分が誰かの隙間をうめられるとは思わない。あなた方は出逢う。だが、あなた方はふたつの ひとり なのだよ。 ひとり がふたりとなるのは結構で美しいことだ。だが、この二人という関係を固定することはできまい。」
 心外無法といい、己事以外にいかなる権威も価値を認めない、没跡といって、己事の痕跡さえ許さない屹立する弧絶者、独坐大雄峰という絶対の自由人、この 様な禅者をOshoはいかにもわが友のように語る。しかし禅者がこの己事究明に20年30年の打坐を要求するのに、Oshoは瞑想センターで、ただそこに 在るだけで、瞑想するだけで、もの思うだけで、己事究明、すばらしい ひとり が完成する、というのだと思う。
 「信仰は盲目だ。それはただ心理的なもの、自我の満足にすぎない。私は信仰の根を絶っている。私は普通の存在なのだ。」
 「如何なるか祖師西来意。師曰く若し意有らば自求不了」Oshoは臨済録を講義しているわけではないのに、臨済録のままを語る。
 「私は如何なる意味ででも、あなた方が私に執着することを望まない。私はあなた方の敵ではない。私はあなた方が私ゆえに片輪のままで、盲目のままで、依存したままで、奴隷のままでいることを望まない。」
 「我が見処に拠らばまことに許多般の道理なし。」
 もうやめよう。私はOsho語録数10冊の中から、いちばん何気ない言葉を探して引用している。その何気ない言葉さえOshoの言葉は清風だ。
 「愛は春の微風のようだ。それはやってくる。それが来るとそれは途方もない芳香と美をもたらす。だが、それは去る」
 Osho語録の清風は、菩薩の歩む道に吹く。菩薩の道を歩めばいつもその清風は吹いている。その風は涅槃の風と呼ばれる。春の微風に、夏の涼風に、秋の装いの風に、冬の烈風にそれが変容しても、それはやっぱり涅槃の風である、と日本の禅者は考えている。
 そのOshoさんが1月19日、58歳ほどで亡くなったそうだ。噂では、アメリカ滞在中に放射性毒物をある狂信的な団体の犯人に飲まされ、その後遺症で苦しんでいたという。なんということを。
●一華寛光
臨済宗仏通寺派教学部長 
一華寺住職

「私はOshoについては本を通じてしか知りませんが、今、考えているのはヒエラルキーのことです。宗教団体は縦の構造を作るが、Oshoはむしろ突き放 してしまう。その全く逆の立場に立っているところが私は好きです。宗教団体が権威になって、その結果人々の精神活動を毒する。これが『宗教家と政治家こそ が魂へのマフィアだ』とOshoが言うゆえんでしょう。(談)」
●清水 芳孝
東北大学名誉教授(生物学)

「私が 瞑想 について考えるとき、それは本来の人間として生きてゆく「道」であると思います。瞑想とは、瞬間瞬間を意識し感じてゆくことであり、本や人などを通して 入りこんでくる知識ではありません。瞑想を通して実際に自分に起こる状態は、誰も否定はできません。そこに「体験」ということが必要になります。私はま だ、瞑想における深い意識を言葉でどういうふうに表現したらよいのかわかりませんが、日常の生活の中で、一人で山仕事をしているとき、あるいは気を入れて 精一杯音楽の仕事をしていて言葉がなくなったとき、そんなときの状態ではないかと思います。そして、そういう状況に私を於いてくれている宇宙の動き、 Oshoの存在、その他私をとりまいているすべてに感謝します。合掌」
●喜多郎(作曲家、シンセサイザー奏者)
「瞑想 祝祭のアート」めるくまーる刊 裏カバーより

「最近十年間、Oshoの本は、多くの書店で『精神世界』の棚を大きく占有しており、日本にも広い読者層を持っている。彼は『般若心経』、『究極の旅』 等、多くの講話シリーズの中で禅を語っており、また他の講話集の中でもしばしば禅に触れている。最近、彼による『一休道歌』上下二巻が翻訳刊行された」
「Oshoの特長は、社会問題等に進んで発言することだ。そしてセックスや政治等、禅林の老師たちが努めて触れまいとする主題について、彼の見解は近年激 しさを増している。組織宗教に対する彼の批判は殊に強烈である。彼のメッセージは『自分自身のハートに波長を合わせよ』ということだ」
● 禅文化研究所 1988年4月25日

「一休の語ることが理解できたら、あなたの夢の生は煙のように消え去るだろう』。現存する宗教家の中では最も魅力にあふれ、わが国でも広く読まれている Osho師の最新講話録。この本の中で、師は一休道歌を題材にして自由奔放に語りながら、人間の実存の中に深く切り込んでいく。師のジョークや語り口は先 鋭にして痛快であり、風狂、漂泊の禅師一休の精神を彷彿とさせる」
● 毎日新聞 1987年10月5日

「Osho師は、人間の心臓のように小さな般若心経の中から、膨大な宇宙空間(スペース)を展開して見せる。そのスペースには、詩魂と仏心が、銀河のごと くにきらめいている。『YesとNoの正体こそが、空の、無の、ニルヴァーナの秘密だ』『空はありあまるほど生きている』とOsho師はこともなげに言 う。うん! なるほど! 心経はインドの途方もないひろがりの中から生まれたのだった」
● 紀野一義 Osho「般若心経」 帯推薦文より

「この大著は『存在の詩』『究極の旅』に勝るとも劣らぬ不思議な生命力にあふれている。老子の言葉は難解だが、Osho師を通って出てくると、ことごとく 詩になる。詩とは存在の本質に深く関わるものなのだ。師の言葉はまた痛烈である。悟ったと称していばりくさるある種の禅僧など木っ端微塵にやられる。永遠 について、生きることについて、悟りについて、女性の尊さについて、かくも深く、美しく、鮮烈に語った本は珍しい。人生を深く生きようとする人に勧めた い」
● 紀野一義 Osho「TAO永遠の大河3」 日本図書新聞より

「シュリ・Oshoは、『己』を求めて旅に出てしまったあなたを、宗教という衣の下に庇護するのではなく、白日の太陽の下、ずばり『存在』そのものと立ち向かわさせてしまうように思われる。この書が、他とすぐれてわたしたちに訴えかけるのは、この点にある」
● おおえまさのり Osho「存在の詩」 帯推薦文より

「一行一行がぼくの血液の中に流れ込むようにして入り、もとの血液は見る見る浄化されていく
そんな実感にぼくはたった今うちふるえている」
● 横尾忠則 Osho「存在の詩」 帯推薦文より

「ここには、さとったひとが、現代のわたしたちのことばで、しゃべっている。わたしたちは、彼のはなしのながれにのれば、いわくいいがたい例の状態を、い ささか感じとることができる。それを語ることは、しぜんに詩になる。うつくしい    というのは、ことばのないときにいうことばだ。彼は西洋最新のセラピーと、東洋古代の瞑想法の相乗効果により、さとりの道を画期的にひらいたひとだ」                
● 片桐ユズル Osho「狂人ノート」カバー推薦文より

◆ インド

「Oshoはこの国と世界に展望(ヴィジョン)をもたらし、それはだれもが誇ることのできるものです。
Oshoは私たちに大いなる強さを与えてくれました。
それほどの強さを与えてくれた彼の思い出に、深く感謝をささげます」
●チャンドラ・シェカール
インド首相 1991年

Osho    彼は並ぶ者のない雄弁家であり、非伝統的な思想家であり、
古代の文献の独自の解釈者でもある・・・・・私は彼の勇気と、揺るがぬ信念と冒険の精神を賞賛する」 
●ギャニ・ザイル・シン
前インド大統領 1991年

マハラシュトラ州知事
Oshoコミューン・インターナショナルを訪問
 
マハラシュトラ州知事C・スブラマニアムは、夫人とともにOshoコミューン・インターナショナルを訪問し、コレガオン・パークのOshoティルタの緑化 プロジェクトを見学した。訪問を終えて知事は次のように語った。「Oshoコミューンの雰囲気はとても刺激的だ。こんなにも多くの人がいっしょに瞑想して いるので、集結したエネルギーがレーザー光線のような力を生み出している」。知事を案内したOshoマルチヴァーシティの学長スワミ・サティヤ・ヴェーダ ントは、Oshoによってデザインされたコミューンのピラミッドの意義を知事に説明し、Oshoティルタの緑化がインド全体の環境再生のモデルになりうる と述べた。Oshoティルタに植樹した後知事は、「バガヴァッド・ギータ」を題材としたOshoの講話録「ギータ・ダルシャン」第一巻の上梓を祝う式辞を 述べた。
●「Oshoタイムズ・インターナショナル日本版」Oshoイア刊60号より

プーナ市、Oshoの業績を絶賛
 
 プーナ市の誉れあるレジデンシー・クラブからの賞状には以下のように記されている  
「あなたは時間なき次元に生きる生命の真理を発見され、ダイナミック瞑想法によって、世界中の何百万の人たちに永遠なる世界を探求し見つけることの刺激を 与えられました。プーナ市に国際的コミューンとマルチヴァーシティを設立され、プーナ市の存在を世界に知らしめました。私たちはここにこれを認め、その栄 誉をたたえるものです」
●「Oshoタイムズ・インターナショナル日本版」Oshoイア刊61号より

国会図書館に300冊のOshoの本
「インドの国会議長、シヴラジ・パティルは今日、ニューデリーの国会図書館のためにOshoの著書300冊を受け取った。

式典の席上、パティル氏は次のように語った。『Oshoの言葉の一言一言は、その簡潔さと深遠な真理の表現によって、知性に訴えかけ、胸に響きます。 Oshoの講話は私たちの内面の暗やみを取り除き、私たちの生を照らしてくれます。もしOshoの言葉が私たちの存在を貫けば、それらの言葉は、私たちの 人生の意味を自分で発見する道を歩むのを助けてくれます』

議長はプーナでの大学時代にOshoのヒンディ語の講話を聴講したときのことを回想し、その講話ではOshoがインドの聖典のもっとも難解な部分を簡潔に 説明していたことに感銘を受けたという。その後、彼はOshoの本を数冊読んだが、それよりも長年にわたって聞いていたオーディオ・テープのOshoに魅 惑されたとのことだ。

国会図書館は将来、オーディオとビデオのセクションを設け、そのためにOshoの講話のテープをすべて購入することを計画している。
パティル氏はOshoの本をすべて一か所にまとめて、この図書館の中に独立したセクションを設けるように指示した」
●「ヒンドゥスタン・タイムズ」
1994年11月2日

Osho、インドの教科書に取り上げられる

インドのグジャラート州教科書委員会が刊行している93年4月版の15~16歳用スタンダード10の高等教科書にOshoの項目が掲載されている。この教 科書は12ページをさいて、彼の生への遊びに満ちたアプローチと瞑想のヴィジョンを、「空っぽで、光に満ち、深刻でない」存在の在り方として説明してい る。序文はこう述べている。「イエス、仏陀、そしてすべての偉大なアヴァタールが物語と寓話で教えたように、彼はジョークを通して私たちに<神性>へと至 る道を教えている」。また、Oshoのことを、「偉大な宗教指導者で、その生と宗教に対する非正統性ゆえに、敵意に満ちた多くの非難を受けた。彼は自分の 語ることを心から信じており、自らの信念に勇気を持っていたために、かなりの数の信者を集めた。そのユーモラスな逸話を通して」と説明し、彼は「私たちに 私たち自身のことを多く気づかせてくれる」と述べている。

「私の意見では、それが何に対して価値があるとしても、彼こそがインドがかつて生み出した、もっとも独創的で博学、もっとも頭脳明晰で革新的な思想家だ。 さらに彼は、語り手として、書き手として、言葉に対する持って生まれた天分を有していた。今後数十年の間、彼のような人物を見いだすことはないだろう。
 彼のような偉大な人物に対して、短い言葉で正当な評価をすることは不可能だ。私にできることは、いまや数百冊に上る彼の本から彼の言葉を引用して、読者を疲れさせてしまう以外にない。
 Oshoが逝くことによって、インドはもっとも偉大な息子のひとりを亡くした。このインドの損失は、世界のすべての開かれた心の持ち主によって分かち合われるだろう。
 これから数年間に、全世界は彼のメッセージに耳を傾けるようになるだろう」
●クシュワント・シン
ジャーナリスト、作家(この記事はいくつかの言語で50のインドの新聞に掲載された)

「インドの運命を変えた十人の人々のなかにあって、Oshoは、未来の世代の心を狂的な信仰と順応主義の足かせから解き放った人であった。彼はすべての宗教を告発した深く精神的な人だ」
●クシュワント・シン
1991年

「恐らく数十年間、人びとは彼の650冊あるすべての本を読みつづけ、オーディオやビデオによって彼とのコンタクトを続けるだろう。
 そして、彼は世界最初の『遠隔操作』のグルになるだろう」
●アムリタ・シャー
The Illustrated Weekly of India
1990年1月28日

「彼は、現代のもっとも独創的な思想家であり、もっとも卓越した実践者だと私は思う。
 ただ、悲しいことは、我々が彼の真実の姿を見なかったことだ」

「彼は私たちを笑い、私たちを押しやり・・・私たちを傷つけ、そうすることで私たちをもっと豊かな人間にしてくれた。彼は私たちに自分のことを考えさせ、 私たちに彼を拒絶するように強い、その拒絶によって私たちを彼により近づけた   そして何とも不思議なやり方で、私たち自身にも近づけたのだ」
●プリティッシュ・ナンディ
The Illustrated Weekly of India
編集長 1991年

「哲学、芸術、科学の分野で天才と呼ばれる人びとが何人かいる。そして、ときには世間が彼らに栄光を与える。しかし、Oshoという人物はユニークで型破りだ。彼こそは、彼の存在そのものによって、世界に、そして、インドに栄光を与えた人物だ」
●アムリタ・プリタン
世界的に有名なパンジャビの詩人、作家、
ラジャサバ(インドの上院議員)のメンバー

「多くの神話を破壊し、人びとが磨耗した思想や無意味な生活様式から解放されるように導いた偉大な挑発者を世界は失った。インドは今までほど豊かではない」
●マドゥ・メタ
Hindustsni Andolan, Bombay

「Oshoは自らの時代より前に生を受けてしまった。しかし、彼は永遠に生きつづけるだろう。彼は非凡でありながら、ごく普通の人間のように生きた。彼は、人びとが問題を解決してゆくのを、兄弟か友人のように助けた。
 これからの世代はまちがいなく彼の教えを評価してゆくだろう」
●パンディット・ハリプラサード・チョウラシア
世界的なフルート奏者

『アリガル』という、インドの詩人、作家や知識人たちの作家フォーラムの主催によって、Oshoの突然で時ならぬ死に当たり、敬意を表する哀悼の集いが開 催された。司会は著名な詩人であるシュリ・ゴパルダス・ニラージにより行われ、主な話し手は、ラビンダー・ブラマー博士、ブダセン・ニーハー博士、ナレン ドラ・ティワリ博士、詩人スレッシュ・クマー、そして、シュリ・ニラージで、それぞれ、Oshoに寄せる敬虔な弔意を捧げた。そして、以下の決議文が全員 に手渡された。

「Oshoの旅立ちは、全人類に対して深い衝撃を与えている。Oshoは今世紀でもっとも革新的な思想家であり、もっとも革命的な神秘家であり、精神世界 を先導する光だった。彼の独創的な洞察は世界に革命を引き起こした。彼はソクラテス、ツァラトゥストラ、老子、マハヴィーラ、仏陀といった一連の神秘家た ちのなかで、かけがえのない人物のひとりだ。彼の生に対する理念によれば、生と死はひとつのコインの両面だ。だから、『彼が亡くなった』と言うのは適当で はないだろう。むしろ、肉体に閉じ込められることから解放され、宇宙意識と一体になったと言うべきだ。我々は彼のマハパリニルヴァーナに遺憾の意を感じ る。なぜなら、我々の目はもう彼の姿を見る喜びを味わえないからだ。彼は不滅だった。彼は不滅で、これからもつねに不滅だろう。これまでは、肉体として我 々と共にいた。これからは、つねに彼の理念と思想のなかで存在しつづけるだろう」

 この『アリガル』という集まりに会した作家と知識人たちは、深い悲しみの意を表し、Oshoの旅立ちはこの地球の精神世界に大きな空虚さを創り出し、それは近い将来にもけっして満たされることはないことを認識した。

署名:ニーハー、ニラージ、ナレンドラ、ティワリ、スレッシュ、クマー
● Hindustani Lekhak Sangha
インド作家フォーラム
(国家の情緒的な健全さに貢献する文学と文化のためのフォーラム)

「Oshoの死によって、生は前より味気ないものとなるだろう。『超越瞑想』が世界の病弊に対する治療だとすると、彼の相棒の神人、マハリシ・ヨギに対す る痛烈な風刺、または、モラジ・デサイのより通俗的な万能薬に対する風刺にしても、Oshoこそは世論をにぎわした人物だといえよう。そして、彼はそれを ことのほか楽しんだ。彼は自らのスタイルを持った混沌の擁護者だ。彼は自らの発言通り、華やかに生活した。彼の弟子たちの面々はおしなべてみなすばらし い。彼がOshoコミューンに西洋からすばらしい才能の持主たち──フォード王国の後継者のひとりや、それと同等の経歴を持ったインド人の弟子たちを含め て──を集めたからだ。そのような人びとを引きつけるのだから、彼は性の解放に優る何かを提示していたにちがいない & &Oshoは独特のカリスマを持った、しかも勇敢な人だ。彼は超意識への特異な道を少しずつ歩んで行った & &彼は、『サフランの生』を選んだ人びとによる、お仕着せの神聖ぶった在り方からの──それはしばしば偽善にすぎない──新鮮な変化だった。彼は カントの哲学と『聖人ぶった』ヒンドゥ教をこま切れにし、『門なき門』として知られるOshoコミューンの門から月並みの礼拝の対象を放り投げ、弟子たち に『神への道を笑いながら進みなさい』と語った」
●The Times of India 社説
1990年1月28日

「Oshoはもはやいない。しかし、彼が語った言葉は長く残されるだけの価値を持っている。彼はしばしば性に関するヴィジョンで、誤って引用された。彼はけっして性への沈溺を弁護してはいない。むしろ逆に、彼はつねにあらゆる形の執着を超越することを説いていた。
 彼の道は、そこから生まれる愛と慈悲と人間的な行動による道なき道だ。われわれを社会の束縛のなかに封じ込めている偽善と人為性を、彼はすべて暴露した。
 このような異端者はなかなか見いだされはしない。OshoやJ・クリシュナムルティのような人物が理解されるのが早ければ早いほど、人類にとっては良いことだ。人びとが変わらないかぎり、社会の発展はあり得ない」
●Indian Express
1990年1月26日

「インドの悲劇とは、健全な思想の真価が認められないことだ。仏陀はインドの人びとに教えを説き、中国、日本、その他の人びとがその教えを学んだ。そし て、Oshoの場合、外国の人びとがすでに彼の真価を認めている。インドの人びとが彼の思想を賞賛するのに、どれほどの時間を要するかは誰にもわかるま い。この貴重な宝石のような人物は、地上の人びとに生の正しい意味を指し示すことに尽力したにもかかわらず、その報酬として侮辱を受け取った」
●The Indian Post
1990年1月28日

「Oshoにおけるひとつの肯定的側面は、普遍性の概念だ。彼によると世界はひとつであり、人びとは国家のない世界の市民だ。人間は宗教的ではあるが、いかなる特定の宗教にも属さない」
●クリシュナ・ラニ
Krishna Rani
MID-DAY 1988年2月16日

「Oshoのような人はかつていなかった。彼のような人がまた出てくるのさえも疑わしい。20か国以上の政府を敵対させうる人なのだから、何かを持っているに違いない。それはまれなたぐいの知的真摯さだったのではないかと人は推測するのである」 
●M・V・カルナート
小説家 1990年

「この本、『新しい人間:未来への唯一の希望/The New Man:The Only Hope for the Future』によって、Oshoは、世界の現実的問題に対する自らの使命を明らかにするとともに、彼が20世紀の知的巨人であることを世に示している」
● ザ・デイリー THEDAILY 1987年9月10日 

◆ チベット

「Oshoは光明を得た師であり、人類を手助けするためのあらゆる可能性に働きかけています。
それは意識を発達させるに当たっての困難な時期を克服するためのものです」
●ダライ・ラマ
1983年

ダライ・ラマ、 Oshoコミューンを訪れる
1994年2月、チベットの宗教指導者ダライ・ラマは、プーナのOshoコミューンを訪問し、コミューンの大瞑想ホール  ブッダ・ホール  の入口を飾る白い大理石の仏像の前で立ち止まり、頭を下げて敬意を表した。
「たいへん美しい所ですね」ダライ・ラマはOshoマルチヴァーシティの学長スワミ・サティヤ・ヴェダントに語った。「まるで森の中にいるようだ。とても 穏やかだ」。ダライ・ラマはコミューンを見学中、書店に立ち寄り、禅についてのOshoの本がとても多いことに驚いた。そして、そのなかの一冊 Andthe FlowersShoweredを贈られた。さらに、もう一冊Meditation: The First and Last Freedom(邦題:新瞑想法入門)も贈られた。訪問の最後に、接待した人々に感謝して、ダライ・ラマは感嘆の声をあげた  「ほんとうにすばらしい」
●「Oshoタイムズ・インターナショナル日本版」
Oshoイア刊59号より

「Osho・シュリ・Osho(Osho)」はインドにおける仏陀以来最大の神性の化身であり、
生きているブッダだ。世界はOsho・シュリ・Oshoを知るであろう。
しかし、彼のほんとうのすがたに気づくのは少数の人々だけである。
彼は現代において、<世界教師>となって世界を正しく導くことのできる、ただひとりの人間である。そして、彼が誕生したのはただこの目的のためだけである。
●ラマ・カルマパ(カルマ派管長)
「マイトレーヤ」 瞑想社刊より

◆ アメリカ

「Oshoは天賦の知性と非凡な学識をもった人だ。彼は東西両方の知的、社会的そして文化的歴史に驚くほど精通している。神秘的な思想家や伝統についての彼の注釈書は相当の数にのぼる & &。
刊行されたその講話録は、おおいなる智慧と洞察と詩情の源泉だ」
●ロナルド・O・クラーク博士
Dr. Ronald O Clark
オレゴン州立大学 宗教学教授

「彼の驚くべき講話テープや本は、私の(そして何百万の人びとの)自己進化の指針となる。
彼の臨在は、さながら鳴り響く大鐘のようだ & &『目醒めよ、目醒めよ、目醒めよ』」
●ジェームズ・コバーン
James Coburn
俳優

「Oshoは20世紀後半の最も偉大な教育家であり、哲学的・宗教的指導者だ。何百何千ものアメリカ人が、彼の本を読んで感動し、生の新たな展望を得るであろうことを、私は確信する」
●ロバート・リマー
Robert Rimmer
『ハラッド・イクスペリメント、第31命題』の著者

「もと大学教授であったOshoは、枢要な精神的哲学者のひとりに数えられている。Oshoの教えは多くの宗教を題材とするが、彼はそのどれにもとらわれ ることがない。明快な彼の講話は、禅、タオ(道教)、チベット仏教、キリスト教、古代ギリシア哲学等、多岐にわたっている。彼の本は極めて多い」
●ネビル・ドラリー
Nevill Drury
『神秘学辞典』の著者 

「私は彼のほとんどの本を読み、彼の講話テープに耳を傾けた。彼は知的光輝に満ち溢れ、優れた説得力を持っている」
●ジェームズ・ブロートン
James Broughton●
『半男半女日記』『天国のジョンの落書』
『エクスタシー』の著者 

「Oshoは確かに宗教的人間であり、知性に溢れた人間である。そしてそれ以上に、自分自身を歓喜とともに表現する希有な人間のひとりだ」
●ポール・レップス
Paul Reps
『センタリング』『禅の肉、禅の骨』の著者

「 因習を打破した、禅味あふれた思想家だ・・・・ 死のなかの最後の一笑を楽しんでいるかのようだ・・・・
Oshoコミューンのようなところは多分この地上にはほかにないだろう   
これほど多くの国々から人々が集まり、友愛にみちあふれ、Oshoによって示されたより高い真理を探求している」
●ロサンゼルス・タイムズ紙

「神秘家たちを紹介するのにOshoほど適格な人はいない。彼はその気高い人たちのなかでもさらに際立っているのだ。彼はみずからの体験から話し、その先人たちの神秘家をよみがえらせ、彼らを自分の同時代人にしてしまう」
●ジョン・リリー
1989年

米国の著名な小説家であるトム・ロビンス氏は新聞のOshoの訃報に応えて、以下のような手紙をシアトル・ポスト・インテリジェンサー紙に宛てた。

 私は現在も、過去に於いてもOsho・シュリ・Oshoの弟子であったことはないが、しかし彼が20世紀における最大の精神的教師であると確信するに足 るほどの数、彼の才気ある著書を読んでいる。そしてまた、彼が歴史上もっとも非難されるべき人物のひとりであると疑わざるをえないほどの量の、悪意にみち たプロパガンダや歪められた報道にも接している。
 戯れ半分の皮肉っぽい意味合い以外、Oshoは自分自身を「グル」と呼んだことがない。彼はいかなる追従者も募ってはいなかったし、彼にみずからの自由 意志で従う人びとにさえ、彼は優しく叱っていたものだった。「彼らは気違いじみているのだが」と彼は言っていた、「その狂気を通り抜けてゆかなければなら ないのだ」。あなた方もご存じのように、Oshoには力があったが、その力を人びとをコントロールするために使うことを拒んでいた。私たちの世俗的なマイ ンドにとっては、そのような概念を理解することさえ難しい。
 コミューンの設立に意欲を燃やすどころか、彼、Oshoは、自分の周りに人びとが成立させたコミューンをからかいの種にしていたのだ。彼はそれがひとつの戯れでもあるかのように、それらのできごとと付き合っていた。
 Oshoについて問題になるのは、彼がみずからの哲学を実際に生きたということだ。彼の哲学はまさに直観に的を絞ったもので、きわめて純粋で、非妥協的 であり、しかもそれは左派でも中間派でも扱えないようなパラドックスを孕んでおり、その前では右派の発する言葉すら虚しく響いた。合衆国政府はこの平和的 なインドの聖なる人に対する妨害情報キャンペーンにおいて、何百万ドルをも費やし無数の卑劣な策略を行った。貴紙の死亡記事にもあるように、Oshoが 「国際的な浮浪人」となったのは、レーガン政府の圧力以外の何ものでもなかった。なんという自由が宗教には認められていることか。
 Oshoのあの常識破りのロールス・ロイス軍団は、私たちの病的な消費主義に対する最高に愉快なジョークだった。彼が自分を「世界の最大の愛する人」と 呼ぶとき、彼はみずからの人類への愛を語っていた(彼自身は独身者だった)。しかしながら貴紙の記事は、ほとんどの記事がそうであるように、それらのこと を本来の文脈から取り出すことで、それに否定的な意味合いを与えている。かつて私たちの了見の狭さとその恐れに満ちた反応を笑ったように、彼Oshoはみ ずからの死亡記事をも笑うことだろう。彼は、私たちが自分のことを理解している以上に、私たちのことを理解していた。
●トム・ロビンス
Tom Robbins
作家

「Oshoは現代における人間意識の偉大な開花であり、しばしばJ・クリシュナムルティに比較される & &外目にはわれわれと同じ人間だが、彼の中に具現しているその言葉は、確かに未知なるものの香りを蔵している。そして彼のまなざしは、まさに『永 遠』の中に安らいでいるようだ。宗教が単なる形式と堕し、かつてこの地上に存在したブッダたちの火と燃える言葉が単なる形式的信仰へと後退している現在、 自分自身の体験によって人間意識の目もくらむばかりの高処へと到達したOshoの言葉は、比較を絶した力強さをもって、われわれのこころの中の美を貫く。 それは形式的な宗教や宗派とは何の関わりもない。われわれは新時代の人間に、この新たなる宗教の洞察を一読することを薦めたい。文中のそこここにちりばめ られた気の効いたジョークに腹をかかえるだけでも、本書を読む価値はある」
● ボストン・クラブ 1988年10号

「人権についてのOshoの所説は、人間の福祉や進歩に誠実な関心を寄せる人びとの必読書だ。なぜなら、彼は通常の智恵の仮面を剥ぎとるからだ。この本 (『新人権宣言』)を読めば、なぜかくも多くの政府が彼の入国を認めたがらないかがわかる。彼の語る真実は、政治家たちのひたかくしにするものだ。もし Oshoの言葉が敷衍すれば、国境は消え去り、権力はエリートや政治家の手を離れるだろう。そして、祝いが、生が、愛が、笑いが、この地上の生を支配する だろう」
● ニュー・フロンティア NEW FRONTIER カリフォルニア、1988年1月

◆ イギリス

ここがその場所だ                              テレンス・スタンプ

 Oshoのコミューンで驚いたのは、多くのひじょうに知性的な人びとがいることだった。それは大勢の年老いたご婦人方がいるような場所ではなかった。た くさんの並外れた人たちがいた。私はそれにほんとうに元気づけられた。この場所がほかと異なるのは、人びとの大多数がただ自分の進歩と発展に大いに興味を 持っているらしいことであり、それは私の考え方によれば、正しく適切なことだ。それは いつものビジネス と同じように、実際的なことだ。そう、それこそは唯一のほんとうの生き方なのだ。彼がいかに偉大な魂であろうと、誰れかがあなたの代わりに生きてくれる わけではない。それは自分自身でしなければならないことだ。
 コミューンはまたひじょうによく組織されていて、ごく円滑に運営されている。組織的な側面に関するかぎり、私がこれまでに見たなかで最良の運営がなされ ている。過去には、コミューンというものは & &そう、それはうまく機能していなかった。なぜなら、人びとはみな個人的なトリップをやっていて、しかもみんなが互いを愛そうとしていたからだ。 しかし実際には、人びとは互いに愛し合っていない。それらは人びとが互いを愛し合うという基盤の上に運営されていたが、それは現実ではなかった  だからうまく機能しないのだ。
 だが、ここにはお互いを愛そうとする努力はない。そういった感傷的なものはない。あなた方はここで自分自身を愛することを学んでおり、その目的を達成す るためにあらゆるもの、すべての人を使っているかのようだ。それはひじょうに健康的なことだ。なぜなら、絶えず自分自身に問いかけるという風土のなかで は、ものごとはひじょうにうまく機能することができるからだ。相互のつながりは誰れもが自分自身に働きかけているということにあり、そのような風土のなか では、人びとが互いを愛し合っている振りをしているのとはまったくちがった、ある一定のレベルの関係が成り立つ。たぶん人びとはここで互いを愛し合ってい るのかもしれないが、それは副産物だ。いちばん大事なことは、人びとが自分自身を愛そうとしていることだ。彼らは自分自身を許そうとし、ほんとうの自分を 見つけ出そうとし、それに満足しようとしている。
 このコミューンがちがうのは、その優先順位が正しいことだ。自己愛が最初に来て、自己発見が最初に来る。つまり他人についての感想など重要ではないとい うことだ。それはまったくくだらない & &それは救世軍のようなものだ。誰れもがそれをやっているのだ。言ってみれば、ここでは誰れもが 自分で自分のおできをつぶしている ということだ。
 そしてここで起こっていることが、世界に影響を与えるだろうことは間違いない。何年間も、私は、個人の内側で革命が起こらないかぎり世界は生き延びるこ とができないだろう、外側のいかなる規則やルールもどのような根本的な変化も引き起こすことはないだろう、と考えてきた。そこには人びとの内側から出て来 た、あまねく広がった隣人意識がなければならない、と。
 西洋の知識人たちと話をしていて、そういったことをつかんでいるのはごくわずかな人びとにすぎないということがわかった。彼らは善をなすという考えをあ きらめることができないのだ。悪事をなすよりは善を施したほうがいい、と考えている。彼らは善行をなすことは自分自身をとりまとめることの延期にすぎない という点を見なければならない。私が社会の頂点にあるとみなしてきた人びとにとって、それはほんとうに盲点だった。彼らはそれを見ようとしない。彼らは自 分自身を変えたら世界が変わるという点を見ることができない。それは人びとに伝えることができないものだったから、私は誤解されてしまった & &変わり者だとか & &不道徳的だとかいったふうに。Oshoについてほんとうに印象的なのは、 それこそまさに彼がやっていることだ ということだ。
 Oshoが働きかけている多くの次元のなかで私が気がついていないものは置くとして、私がもっとも意識しているのは、彼はここにその事実を完全に理解し ている人びとのグループを持っているということだ  ほんとうに重要な唯一のことは自分が変わらねばならないということであり、自分自身の内側に根本的な変化を起こさねばならないということだ、ということ を。このコミューンはまさにそのためにあるのだ。
 それはあらゆるものをその 変容 を起こらしめる方向に導く施設、空間だ。だからその語彙に忠実であるなら、こここそがそれがほんとうに行われている世界で唯一の場所だということにな る。もしそれが同意しうるものなら、起こりうる唯一の根本的な変化は、個人が自分に変化が必要だと感じるかどうかということであり  もしそれを事実として受け容れることができるなら  ここは私が知る限りそれが起こることを可能にする世界で唯一の場所だということになる。
 このコミューンはすばらしい学習装置であり、ある種の圧力釜のようなものだ。西洋の人びとがやるすべてのもの  アレクサンダー・テクニーク、太極拳、ロルフィング、エンカウンター・グループ、エンライトンメント・インテンシヴ、ありとあらゆるもの  がここにはある。私が言いたいのは、西洋では、そういった場所に行って「私はヴィパサナ瞑想コースを受けたいんです。一日に8時間坐りたいのです」と 言っても、あなたはただの変わり者でしかないということだ。ただたんに変わり者であり、正気を失っているだけ!
 だが、ここではそういったことは正常なことだ。そしてOshoは、人びとが世界中で自らに光明をもたらすために使っている、すべてのテクニックを用いて いるようだ。彼はそれらのすべての可能性をここにもたらしている。結局のところ、たぶん、彼はあらゆるタイプの人びとが自分自身に働きかけることができ る、実用的な道具を作り出しているのだ。
 ここがその場所だという思いが、絶えず私の心のなかに浮かんできてやまない。人がやりたかった、学びたかったすべてのことを、ここで学ぶことができる。 実際の人たち、グループリーダーたちは、見つけうる最良の人たちではないのかもしれないが、彼らはOsho自身を代表しているのであり、その意味では彼ら は見いだしうる最良の人たちだ。それが大事なところだ。ここはワークするには、すばらしい場所だ。
●テレンス・スタンプ
Terence Stamp
イギリスの映画俳優

「心理学、精神療法学、哲学、宗教の相互に交差する領域において、Oshoほど重要で影響力のある教師はいない」
●ガイ・クラクストン博士
Dr.Guy L.Claxton
『日常生活の成長と変化』の著者

「Oshoは会う人すべての自由を実現する。その意味で彼は現代における希有な人間のひとりだ」 
●ジム・ガリソン博士
Dr.Jim Garrison
『ヒロシマ以降の神学』の著者

「Oshoの教えは様々なイデオロギーと宗教の伝統から取られたものではあっても、独自の特徴を持ち、妥協を排してラジカル、反論理的で予知できない。そ の教えは個人に向けて、社会的なあらゆる条件づけからの自己解放を呼びかける。なすべきことは、オープンで誠実であること、生を楽しむこと、自分自身を愛 することだけだ & &」
●サンデー・タイムズ

●イギリス
「20世紀をつくった1000人」のひとりにOshoを選ぶ

◆ イタリア

「現在の世界的な危機を打開する道を探るには、Oshoの周辺に起こっていることを理解する必要がある。レーガンやゴルバチョフの言葉に耳を傾けるより、Oshoの教えの中から生じる新しい道を探らねばならない」
●グイード・タッシナーリ/Guido Tassinari
人間主義的心理学研究所所長

「彼の言葉の使い方   くだけて、挑発的で、偶像破壊的な   極めて斬新なものだ」
●パラミータ/PARAMITA
仏教誌 1988年1月

「私は彼の本を読んで、魅了され続けている」
●フェディリコ・フェリーニ
Federico Fellini

◆ ドイツ

「優れた著作者というのは流れに逆らって泳ぐ人間だ。その意味でOshoは極めて優れた著作者といえよう。彼はアメリカで逮捕のうえ追放され、ソ連では CIAの手先と考えられ、彼の読者はKGBにマークされた。クレタ島においては司教たちが石をもって彼を脅し、およそどの政府も彼の入国を許可しようとし ない」
●ルドルフ・バウケン博士
Dr.Rudolf Baucken
ベルゼンブラット1986年10月10日

「彼は西洋のエリートを、今までにないやり方で魅了している」
●南ドイツ新聞
SUDDEUTSCHE ZEITUNG
1985年8月17/18日

「ロールス・ロイスの艦隊は、非常にすばらしかった & &Oshoは、当然、自分がこのロールス・ショーによってグルの風刺画になることを心得ていた。そして、彼はそれをひとえに自らの偉大さを証明するために行なった」
●Die Tageszeitung
ベルリン1990年1月23日

「Oshoは死んだ。現代のあらゆる聖者のなかでもっともすばらしいこの聖者は、インドのプーナ市で死亡した」
●Kolner Stadtanzeige
ケルン1990年1月20日

◆ オーストラリア

「彼はユーモアのセンスを持ち合わせていた。すべての人々がいつもそのジョークを理解したわけではないが、それは頻繁に用いられた。
 また、彼自身にユーモアが浴びせられたときも、気分を害したりはしなかった。それもまた、スピリチュアル・リーダーにとってはまれなことだ & &だが、その軽さや面白さの背後に、権力者たちが本能的に感づき嫌悪する姿勢があった。彼は無政府主義者だった & &彼は合衆国大統領を、エリザベス二世を、組織宗教を、自国の扉をさまざまな形で披露した各国の代表者たちを、税務管理者たちを、自国インド政府 を、学識者や学者たちを嘲笑の的とした」
●クリストファー・リード
Christpher Reed
Sunday Age, メルボルン1990年1月21日

「人びとを魅きつけるもの、それは大悟した師、Oshoの臨在だ。そんじょそこらの気難しい渋面の隠者とはわけが違う。彼は現代のための師だ。読者諸氏も 既にお耳にしていようが、彼は語る。語りに語る。今日に至るまで、英語だけでも実に5,500万語相当の本が出版されている。彼が語ること、それは人びと の生き生きした目を引き寄せ、そのハートや魂に触れるための、ひとつの努力にほかならない」
● ニューエイジ・ニュース NEW AGE NEWS 1988年11月

◆スイス

「Oshoを読むことは、私にとってまったく特別の体験だ。彼は第一級の詩人哲学者であり、ニーチェと同じ直截性と詩的な力を持っている」
●ユーリー・バルジガー、
チューグロッゲ・チューティッヒ紙
Ueli Balsiger,ZYTGLOGGE ZYTIG
1989年1月

◆ フランス

「単純な、しかし深遠な言葉によって、師は『死する術』を人びとに示す   それは今とここを生きることであり、永遠の生を生きることだ」
● リーブル・エブド LIVRES HEBDO 書評誌 1988年10月 

◆南米

「世の中には、『内的平和を見いだすためには、まずこの世の喜びを放棄せねばならぬ』と語る禁欲的な精神指導者がいる。しかしOshoは逆だ。彼いわく、真に見たいと欲する者には、すべては容易に開かれる」
●エル・ムンド紙
EL MUNDO
コロンビア 1988年3月26日

「Oshoいわく、『世にはひとつの宗教しか存在しない、それは愛の宗教だ。世にはひとつの神しか存在しない、それは祝いと喜びの神だ』。これは賢者の言 葉だ。それ以上に、彼は体験を旨とする現実家だ。遺憾なことに、彼はその宗教的姿勢と現代社会に対する現実的な態度によって迫害を受けてきた。われわれは 現実主義的姿勢を犯罪とみなすようになっている。あまりに虚偽に馴れ親しんだため、虚偽というものが自然なものとなっている」
●オ・ナシオナル紙
O NAZIONAL
ブラジル 1988年1月11日

◆アラブ首長国連邦

「ほかの有象無象が忘却の淵に沈もうとも、Oshoだけは別だ。何といっても『世界で最も論議渦巻く開悟の人』という名声あるいは悪評を築き上げた人間 だ。然り、彼は復活した。たんに元気であるばかりではない。その舌鋒は健在であり、今もって世界中から新たな弟子たちを集めている。彼の本が広く読まれ、 その言葉が歴史上のあらゆる宗教、あらゆる大思想家と肩をならべるであろうことは、疑いの余地もない」
●カリージ・タイムズ紙
KHALEEJI TIMES
1988年7月3日

◆(注)Oshoは、1989年初め、「バグワン」という名を廃し、「ラジニーシ」とのみ呼ばれることを欲するも、弟子たちが「Osho」という名を選 び、彼もそれを受け容ました。上記の評価文内に「ラジニーシ」「バクワン」などの旧通称名での記載がありましたので、全て「Osho」に置き換えました。