OSHOハート瞑想

OSHOハート瞑想

第1ステージ: 5分  ハートのなかへ
第2ステージ:15分   自分自身から始める
第3ステージ:15分   人類全体への慈悲
第4ステージ:15分   静寂

This OSHO meditation is based on a small fragment from Atisha,the founder of Tibetan Buddhism.

アティシャは言う、、、

 息を吸うときに、過去、現在、未来にわたる人類全体の惨めさや苦しみを吸い込みなさい。

 そして息を吐くときには、自分の喜び、至福、祝福のすべてを吐き出すのだ。

 息を吐きながら、自分自身を世界の中に注ぎ込みなさい。

 これは慈愛の技法。苦しみのすべてを吸い込んで、祝福のすべてを注ぎ出す。

 すると、あなたは驚くだろう。自分の内側に世界の苦しみすべてを受け入れた瞬間、

 苦しみはもはや苦しみではなくなる。

 ハートが、即座にエネルギーを変容するのだ。

 ハートは変容する力だ。惨めさを吸い込みなさい。

 そうすれば、それは至福に変わる……そうなったら、その至福を外に出してあげなさい。

 ひとたびハートがこの魔法、この奇跡を行なうことができることを学べば、

 あなたは何度も何度もやってみたくなる。やって見てごらん。

 これは、もっとも実践的な技法のひとつだ。易しくて、即効性がある。

 だから、今日にでも試してみてごらん。

Osho: The Book of Wisdom, #5 から抜粋

 息を吸うとき、この世のあらゆる存在のあらゆる苦しみが、その入る息に乗 り、あなたのハートにとどいている。それを瞑想にしてごらん。あらゆる苦し み、痛み、そして惨めさをハートに取り込み、奇跡が起こるのを見るがいい。

 だれか他の人の惨めさ、痛みや苦しみを取り込むときはいつも、取り込む瞬間 に、それは変容する。それを避ける方が自然な傾向だ。自然な傾向は、自分自身 を苦しみから守ることだ。自然な傾向は、離れて、同情せず、共感しない。人び とは同情する時でさえ、形だけで同情する。口先で言うだけだ。本気ではない。 もし心から本気だったら、彼らはその人を助けることができた。彼の苦しみを取 り込むことができた。彼の苦しみを飲み干すことができた。

 そして何度か起こり、あなたも知っていることだが——会うと、肩の荷がおりる 感じがする人びとがいる。彼らが去ると、あなたは軽やかに感じ、流れて、より 活気に満ち、より生き生きと感じる——まるで彼らが頭から、胸から、大きな重荷 を取り去ってくれたかのようだ。あなたの存在に蜜を注ぎ込んだかのようだ。彼 らが去った時、自分のハートの内側にダンスが残っているのを感じる。あなたは 彼らが来てくれるのを、何度も何度も待つ。彼らがいっしょにいてくれるのを求 め、それを楽しむ。なぜなら彼らがいることが、あなたに滋養を与えるからだ。

 反対の種類の人びともまた、存在する。会うと、あなたはその前よりもっと重 荷を背負わされる。彼らはある種の絶望、嫌悪感を残す。あなたは搾取されたよ うに感じ、エネルギーはより少なくなっている。彼らはあなたのエネルギーから 何かを取り去り、何も与えなかった。これがよくある経験だ。

  もし人びとがあなたを避けるなら、思い出すがいい。彼らに責任はない。あ なたの中の何かが、彼らにあなたを避けさせるのだ。もし人びとがあなたに会い たがらないなら、あなたから逃げる言い訳を見つけるなら、思い出すがいい。彼 らに責任はない。あなたが彼らのエネルギーに何か否定的なことをしているに違 いない。

  もし人びとがあなたを求めるなら、もしすぐに親しくなるなら、ある種の親 近感を感じるなら——見知らぬ人びとでさえやって来てはそばに座り、手をつな ぎ、ただいっしょにいるのを望むなら——それはあなたが知ってか知らずにか、彼 らを助けているに違いない、ということだ。みなが大きな惨めさを背負ってい る。みなが大きな苦しみの下にある。みなのハートは傷ついている。そこには大 変な痛みがある。

  アティーシャは言う、それを全存在と行なう前に、あなたはまず自分自身か ら始めなければならない。これは内なる成長の基本的な秘密のひとつだ。そもそ も自分自身にしていないことは何であれ、他の人にすることはできない。もし自 分自身を傷つけるなら、他のひとを傷つけることができる。もしあなたが自分自 身にとっての深刻な悩みの種なら、あなたは他の人にとっても深刻な悩みの種だ ろう。あなたが自分自身への祝福であって初めて、あなたは他の人への祝福にな れる。

 あなたが他の人にできることは何であれ、それ以前に自分自身にやったことに 違いない。なぜなら、それが唯一あなたが分かち合えることだからだ。あなたは 自分が持っているものだけを分かち合うことができる——自分が持っていないもの を分かち合うことはできない。

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