OSHOマハムドラー瞑想

OSHO マハムドラー瞑想 ”存在の源に溶ける”

第1ステージ:(30分)目を閉じて立ち、身体全体をゆるめ受容的でいますーそして待ち、起こることすべてに協力的でいます。突然、衝撃を感じるでしょう:あなたの身体がくつろいでいれば、あなたのコントロールを超えたところで、微妙なエネルギーが身体を動かし始めるでしょう。これがラテイハンです。

第2ステージ:(20分)ひざまずき、両手を空に向けてかかげ、手のひらを上向きにし、頭を上げますー存在があなたに流れ込んで来るのをただ感じています。エネルギーが腕を流れる 時、そよ風に吹かれる木の葉のような、やさしい震動を感じるでしょう。それを許しましょう。 2、3分後に、完全に満たされたと感じたら、前かがみになり、床に額をつけて休みます。神聖なエネルギーが大地と統合するための媒体になりましょう。これ らのプロセスを、少なくとも7回くりかえしましょう。

第3ステージ:(15分)横たわり、静かにじっとしています。

ラティハンはマハムドラーへの第一歩だとも言える。それは、からだを波動に任せること、からだがエネルギーに、非現実的に、非物質的になるのを許すということだ。からだが溶けて境界が消滅するのを許すということだ。

ラティハンは簡単だ。それは第一歩だ。それをやる人はまずリラックスしてゆったりと自然に立つ。あなたは何もしなくていい。ただそこにいればいい。ゆった りと自然にただ何かが起こるのを待つ。そしてもしからだが動きはじめたら、それを許さなくてはいけない。あなたはただ協調してそれを許せばいいだけだ。そ の協調もあまりにも直接的になってはいけない。押し付けになっては駄目だ。それはただ許すということであるべきだ。

あなたのからだが突然動きだす。まるで何かに取り憑かれたかのように、まるで天上からの偉大なエネルギーがあなたの上に降臨したかのように、まるで雲がやって来てあなたを取り巻いたかのように—- そして、いまあなたはその雲に乗り移られた。その雲があなたのからだに入り込む、からだが動きはじめる、腕が上がる、微妙な動き、あなたはちょっとした舞を舞う。やわらかいしぐさ—-からだが持ち上がる。 手がひとりでに持ち上がる。まるで誰かがそれを見えない糸で引っぱっているかのように・・・。それを許しなさい、足が動く、ターンをする、あなたはちょっとしたダンスを始める… ん? 何のリズムもない、何の計算もない。

しかし、だんだんとあなたが深まってゆくにしたがって、それはそれなりのリズムを持つようになる。そうなれば、それはもはや混沌じゃない。それはそれなり の秩序を持つ。それはひとつの統制になる。ただし強いられたものじゃない。これはあなたの最高の可能性が最低位の肉体をとらえてそれを動かしているのだ。

ラティハンは第一歩だ。そして、だんだんとあなたはそれをやっていて本当に素晴らしい感覚を味わうようになるだろう。自分と宇宙との間に出会いが起きているのを感じるようになるだろう。だが、これは第一歩でしかない。

スブド教に何かが欠けているのはそのためだ、その第一歩はそれ自体としてとても素晴らしいものだ。しかし、それは最後の一歩じゃない。私はあなたがたにそ れを全うして欲しい。 少なくとも30分、いいや、60分やれたら素晴らしいものだ。だんだんと、30分から60分のラティハン・ダンスへと進んでゆけばいい。60分の間に、あ なたのからだは毛穴から毛穴まで細胞から細胞まできれてになる。それはカタルシス(発散・浄化)だ。あなたは完全に生まれ変わる。一切の垢が焼き尽くされ る。
それがティロパの言う、”マハムドラーに於いて、人の一切の罪は焼かれ”だ。過去は火の中に投ぜられる。

それは新生だ。再生だ。そしてあなたは全面降り注ぐエネルギーを感じるだろう。内も外も——そのダンスは外側だけのものじゃない。やがて調子をつ かんだときには、あなたは内なるダンスをも感じるようになるだろう。からだが踊っているだけでなく、内側でもエネルギーが踊っている。そしてその両方が互 いに協調し合う。

するとひとつの脈動が起こる。あなたは宇宙と脈打つのを感じる。あなたは宇宙のリズムを発見する。 30分から60分くらいが所要時間だ。30から始めて60分まで——その間のどこかに適正タイムがあるだろう。それは自分でわかる。もし40分く らいで調子が出るとしたら、それがあなたの適正タイムだ。20分くらいで調子が出れば、それがあなたの適正タイムだ。
そしたら瞑想はそれを超えなくてはいけない。もしあなたが10分で調子に乗るとしたら20分がいい。もし15分で乗って来るなら30分がいい。倍にする。はしょってはだめだ。そうして本当に完全できれいになる。

そして祈り>でしめくくること—-。 あなたが完全にきれいになって、生まれ変わったように感じられたなら・・・・ —-あなたはエネルギーのシャワーをくぐったのだ。そして全身がバラバラでなくひとつに感じられる。そしてからだの実体性がなくなる。あなたはそれが むしろひとつのエネルギーであり、ひとつの運動であり、ひとつのプロセスであって物質的ではないものを感じる。

さあ、用意はできた。そうしたら地面にひざまずく。ひざまずくというのはすばらしいことだ。ちょうどスーフィーたちがひざまずくように、あるいは回教徒の 人たちがモスクで彼らの祈りを捧げるように、そんなふうにひざまずく。なぜならば、それがラティハンには一番いい姿勢だからだ。そうして目を閉じて両手を 空に向かって伸ばす。そして自分を空の器、中空の竹のように感じる。 内側が中空—-ちょうど壷のように頭は壷の口だ。 するとエネルギーが、すさまじい勢いであなたの頭から降り注ぐ。まるで滝の下に立っているみたいだ。そして事実そのとおりなのだ。ラティハンの後ならあなたはそれを感ずるだろう。それは滝のようだ。シャワーどころじゃない。あなたが用意ができたとき、それは大変な勢いで降り注ぐ。強烈だ。そしてあなたのか らだはブルブルと震え出すだろう。強い風に吹かれる一枚の木の葉のように—-あるいは、もしあなたが滝にうたれたことがあるならわかるだろう。もしう たれたことがなかったら、滝に行き、その下に立ってごらん。どんな感じのするものか—-その同じ感じがラティハンの後でやってくる。
自分自身、内側が空っぽだと感じてごらん。中には何もない。ただの虚空—-するとエネルギーがあなたを満たす。完全に満たす。それがあなたに降りそそ ぐのをできる限り深く許すこと。それがあなたのからだと心と魂のすみずみにまでゆきわたるように—- で、それを感じ、自分が本当にいっぱいに満たされて、からだが震えるくらいまでいったら– –ひざまずいて、頭を地面につける。そしてそのエネルギーを大地に注ぐ。エネルギーが溢れ出すのを感じたら、大地に注ぎ込む。空から取り入れて大地に返 す。そしてあなたはその中間の中空の竹になる。

これは7回繰り返さなくてはいけない。空から取って台地に注ぎ込む。大地に口づけをして、注ぎ込む。完全にからっぽになるのだ。満たしたのと同じだけ完全 に注ぎ込むのだ。完全にからっぽになる。そうしてまた手をあげて、また満たして、また注ぎ込む。これを7回繰り返す。 なぜならこれは1回に、体の内側のチャクラ、体内のセンターをひとつづつ貫くからだ。それは1回ごとにどんどん深くあなたの中に入ってゆくもし5回以下し かやらなかったら、あなたはその後落ち着かない感じがするだろう。エネルギーがどこかで中途半端にひっかかっているからだ。それはまずい。 これは全身の七つの全部のチャクラを貫いてあなたを完全にからっぽの回路にしてしまわなくてはならない。

エネルギーがそらから降り注ぎ大地へと流れ込む。あなたはアースされている。あなたはただそのエネルギーを大地に流すだけだ。ちょうど電気にもアース線を つけなくてはならないように—-エネルギーが空からやって来て大地に流れ込む。あなたはアースされる。エネルギーを流すただの器一本の中空の竹— – 7回以上ならいくらでもいい。が、それ以下はまずい。そうしたらこれは完全なマハムドラーとなるだろう。

もし毎日やれば、やがて3ヶ月もしないうちに、ある日あなたは自分がいないのを感じるだろう。ただエネルギーが宇宙と脈動しているだけだ。そこにはだれも いない。さしもの自我も完全に失ってしまう。やりてはいない。宇宙があり、本当のあなたが在る。海といっしょに脈動する波—- それがマハムドラーだ。 それは最終的なオーガズムであり、 可能な限り最も至福に満ちた意識の状態だ -Osho-
Tantra The Supreme Understanding 存在の詩~copyright 2003.Osho International Foundation