OSHO EVENING MEETING

OSHO Evening Meditation

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OSHOイヴニング・ミーティング

1日のハイライトは、ホワイトローブ・ブラザーフッドのイヴニング・ミーティングです。

踊り、祝祭、沈黙 ――「努力なしの覚醒」という、瞑想体験の本質を経験するためのユニークな機会です。

「言葉で言い表せないものが経験されなければならない。これは内なるスペースに入るという偉大な体験だ。

かつて誰も定義できなかった何かが、この集いで体験される。これは、一日の仕事や瞑想やグループ参加の中で、

もっとも高い頂きだ」Osho

実際的な案内

第1部

あなたのいる場所の午後6時40分にグローバル・イヴニング・ミーティングは始まります。

そうしたければ、遅くに始めることもできます。

このミーティングはひとりでトータルに踊る高いエネルギーの音楽で始まります。

「ワイルドな祝祭のエネルギー」です。祝祭のエネルギーをあなたの内側で高めましょう。

叫んだり、口笛を吹いたり、周りの人を見まわしたりして、このエネルギーを浪費しないように

してください。ダンスの途中で3~4回「 Oshoと叫ぶときがあります。

ダンスのステージは3回続けて「 Osho」と叫んで終わります。

これについてOshoは次のように説明しています。「これは、意味のない音だ。音のない沈黙に辿り着くために、

ただこの音を使っている」 星々に向かって両手を上げることは、より高い意識への願望を指し示しています。

叫び声は、本当に鋭くあるべきです。

それは腹から出て、まさにライオンの咆哮のように発せられなければなりません。単に舌先からではなく、

喉やハートからでさえありません。それはちょうど臍の下あたりを打ちます。

そこが、あなたがやってきたところです。生命センターはちょうど臍の下に、臍下およそ5センチのところにあります。

その叫び声がどの源からやって来るのか、あなたは観なければなりません。

あなたはその源泉まで、内側へ入らなければなりません。

それはあなたのセンター、まさに実存を打つだけでなく、喜び、笑い、ダンスの途方もない感覚を、あなたにもたらします。

それは祝祭です。

Oshoは、「人々がはじめに全一であればある程、瞑想の沈黙はより深まるだろう」と説明しています。

第2部

Oshoと3回叫んだ後は、最後のジベリッシュとレットゴーまで沈黙のうちに座ります。

この沈黙のうちに座ることは、途中で沈黙をはさむインド音楽で始まり、3回の「強烈な」ドラム音の後、 Osho講話の

ビデオの間中続きます。 Oshoは、 「Oshoと叫ぶことと突然止まるインド音楽を「ストップ・エクササイズ」だと説明

しています。

Oshoは講話の中で次のように説明しています――

「私の話は瞑想のための方便のひとつだ。話をすることが、かつてこのように使われたことはなかった。

私はあなた方にメッセージを伝えるために話すのではなく、マインドの機能を止めるために話す」

「そして、それはここだけで起こるのではなく、遥かに遠い世界のどこかでビデオやオーディオを聞いている人々も、

同じ沈黙に達するだろう」

「これらの講話で私とともに座ることは、あなたの内側にもっともっと瞑想性を創り出すこと以外の何ものでもない。

私は何かを教えるために話しているのではない。何かを創造するために話しているのだ。これらは講義ではない。

これらは、あなたが静かになるための単なる方便だ。なぜなら、もしあなたがどんな努力もしないで静かになるように

と言われたら、とても困難に感じるだ ろうからだ。

それが、禅の師たちが弟子に言い続けていることだ 『静寂であれ、しかし、どのような努力もしないように』。

こうなると、その人をたいへん困難な状況に置くことになる。どんな努力もしてはいけない、そして静かでありなさい。

もし、何らかの努力をしたなら、彼は間違っている ――そして、どんな努力もなしに静かになる方法などはない。

もしどんな努力もなしに静かになることが可能であったら、どのようなマスターも必要ではなかっただろうし、

瞑想を教える必要性もなかっただろう。人々は何の努力もなしに、静かになっただろうから。

私はでき得る限り深く、禅の成果の中に入っていった。彼らはボーディーダルマ以来ほぼ14世紀もの間、瞑想し続けている。

彼らはこの世の中でもっとも偉大な宗派のひとつであり、全面的にひとつのことに献身してきた。それが瞑想だ。

これほど長く絶え間なく行なわれてきた試みは、それ以外には他のどこにも存在しない。

それでもなお、本物の禅マスターはそれほど多くは存在しない。

 確かに禅の流れには、この世の他のどんな流れよりも多くのマスターが存在する。しかしそれでも、瞑想を続けてきた人々の

数に比べれば、その数はとても少ない。私は何が基本的な間違いなのかを探し続けてきた ―そして、これが基本的な間違いだ。

それらの禅マスターは、正しいことを教えてきたが、正しいやり方ではなかった。私はあなたの側からの何の努力もなしに、

あなた方に静寂に気づかせようとしている。私は話すことを初めて、あなたの内側に静寂を創り出すための策略として使っている。

 これは教えや主義や信条ではない。だからこそ、私は何でも言うことができる。

私は何かを話すことに関して、今まで存在したなかで最も自由な人間だ。私はひと晩に百回も矛盾したことが言える。

なぜならそれはスピーチではないので、首尾一貫する必要がないからだ。

それはまったく違うものなので、途方もなく異なった試みが続いて来たことを世界が認識するには、時間がかかるだろう。

ただほんの一瞬、私が沈黙するとき、あなたは静かになる。

そこに残るのは、ただ純粋に待つことだけだ。あなたは何の努力もしていない。私も何も努力していない。

「覚醒とは、あなたが私を聞くときに、鳥の鳴き声をも、 木々を渡る風の音や、今まさに起っているすべてを聞いているという意味だ。

他のすべてに閉じて、私だけに開くような、狭いマインドで私を聞いてはいけない。

そうであれば、あなたは私のいうことを聞けないだろう。なぜなら、もし鳥の声がその中に含まれていなければ、私の言っていることは

減少してしまうからだ。

この瞬間に起っていることのすべてがその中に含まれていなければ、私が言っていることは真理ではなくなってしまう。

他のものを除外して私を聞かないように。すべてを含んで聞きなさい―すべては含まれている―あなたは周りで起こっているすべてを

映し出すただの静寂な鏡だ。何ひとつそれを乱しはしない。

その瞬間、その水晶のように透明な瞬間、あなたは何度も何度も最高の歌を聞くことだろう。そうでなければ、あなたは何かを聞いて、

別のものを聞きのがし、そしてまた何かを聞く ―ここである言葉を聞いて、

あそこである言葉を聞く ―そして、あなたはそれらを繋げる。そのときそこから出てくるものは何であれ、私が言ったことではない。

それはあなたが聞いたことだ」

「私が話すのを聞いているとき、あなたのすべての気づきを私に持ってきてはいけない。

聞いているその人にもまた、気づいていなければいけない。誰かは外にいて、誰かは内側にいて聞いている。

その二人の間を言葉が流れていく。話し手ばかりに気をとられたり、催眠にかかったように聞き手を完全に忘れたりしないように。

なぜなら、聞いている人の方がもっと重要だからだ。聞き手のことを忘れてはならない。意識の矢は二方向に向いていなければならない。

一方は話し手に向かい、もう一方は聞き手に向いている。意識は両方向に伸びているべきだ。

そのときのみ、あなたの理解はとても深くなるだろう。もし聞き手が眠りこけていたら、話し手は何を伝えることができるだろう。

しかし、聞き手が目覚めていたら、そのときは、話し手が沈黙したままでも、あなたにはその静寂が理解できるだろう」

Osho

そしてジベリッシュとレットゴーが続きます。

第3部

ジベリッシュとレットゴー

    第1ステージ:ジベリッシュ
    第2ステージ:静かに座る
    第3ステージ:レットゴー
    第4ステージ:もどって来る そして祝祭

最終部

Oshoからの特別な要望により、イヴニング・ミーティングは数分間の祝祭と踊りで閉じられます。
「私は理由もなく、毎日の瞑想を祝祭と歓喜で終わりなさい、とあなた方に言っているわけではない。

ゆっくりゆっくりと、瞑想が深まるにつれて、あなたの祝祭はより広がり、より壮大で、奇跡的なものになるだろう。

Osho

備考:

もし可能であれば、事前にシャワーを浴び、香水はつけないようにしてください。

咳やくしゃみはしないでください。何かの感染症にかかっているときも参加しないようにしてください。

ミーティングは最長で2時間です。




OSHO レット・ゴー瞑想 について
「愛する人々よ、あなた方に新しい瞑想法を紹介しよう。それは三つのパートに別れている。

第一のパートはジベリッシュだ。”ジベリッシュ”という言葉は、 スーフィーの神秘家ジャパールからきている。

ジャパールはまったく系統的な言語を話さずただ無意味な音を発しただけだった。

それでも何千人もの弟子たちが いたのは彼がこのような明確な主張を持っていたからだ。

—–マインドはジベリッシュ以外の何ものでもない。それを脇に置きなさい。そうすれば、自分の存在、自分の本性を味わうだろう。

—–ジベ リッシュを使って意識的に狂いなさい。 完全に気づきながら狂いなさい。そうすれば、あなたはサイクロンの中心となる。 

意味や理由などまったく気にせ ず、何であろうとやって来るにまかせるがいい。 マインドのあらゆるがらくたを放り出して、

ブッダが生まれるスペースをつくり出しなさい。

第二のパート—-ここでは台風は過ぎ去り、その台風は「あな た」をも一緒に連れ去っている。

ブッダが完全な沈黙と静止のなかから現れる。 あなたは、体や心を、または何であれ起こっていることを、ただ観照している。

第三のパートで、私は「レット・ゴー」と言う。そうしたら体をくつろがせ、マ インドを働かさず、そのまま後ろに倒れなさい。

ちょうど米俵が倒れるように倒れなさい。—- 「ジベリッシュはあなたのマインドをきれいに  するもっとも科学的な手段のひとつだ」

Osho

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